kiaorakanaの日記

写真を撮る人

大人になると

自分を気にかけてくれる人はいない。

自分自身で気にかけてあげないと

取り返しがつかなくなる。

 

普段は誰も見向きもしないくせに

マイナスなことが起きた時だけ

私が存在することになる。

 

真っ当に生きてきた私は

存在していなかったのか。

 

躓いて初めて

誰かの邪魔になったから

そこに在ることに気付かれるんだ。

 

生きてる価値なんて

誰がどうやって決めるか分からないけど

 

今の私に生きる価値はない。

 

死に損なって12年が経っただけ。

まともに死ぬこともできなかった

ただそれだけ。

この世界は

私が生きていくには

苦しすぎる世界だ。

 

ただ生きているだけでは許されなくて

常に「何か」でなければならないんだって。

 

当たり前のように高校へ行かされ

当たり前のように大学へ行かされ

当たり前のように就職させられ

そのうちに結婚を迫られる。

 

結婚をすれば

当たり前のように子供のことを訊かれる。

離婚をしても

当たり前のように子供のことを訊かれる。

 

そしてまた結婚を迫られる。

 

私が「ただの私」でいられる時間は全くない。

 

子供を欲しいと望んでも叶わないし

代わりに打ち込めるような仕事はないし

何もしていなければ

それでいいのかと問われる。

 

私が決めたことなのに。

私の人生を代わってくれるわけじゃないのに。

 

人生が選べるなら

早くに結婚して

早くに子供を産んで

家族と暮らしていく人生が良かった。

 

私にはもう2度と叶わない。

夢ばかり見ては

また、途方に暮れる。

 

生きていくのは

本当に、本当に苦しい。

余命12年

少し前に受けた検診に引っ掛かり再検査を。

検査が思ってたより痛くて

帰ろうとしてたのに貧血でUターンしてしまった。

 

フラフラしながらの帰宅途中、

病気が見つかったらどうしようとか

治療についてとか色々考えた。

 

長生きすることにこだわりはないけれど

治療して今までの生活に戻れるならいいなと思うし

治療しても治る見込みがないのなら

そのまま死にたいなとか

そんなことばかり考えてた。

 

 

死の淵を彷徨ってから12年。

自分としては十分だなと思うけれど

年齢で考えたら死ぬには若いだろうなと思う。

でも12年前の私と同じ怪我を負った人のほとんどは

即死か後遺症のある生活を送っていて

そう思えば少しの麻痺で生き延びてるんだから

奇跡だよなぁと思う。

 

生きていると

目を背けたくなるような現実も多いけれど

なかったかもしれない12年だと思ったら

なんだかもう十分すぎるんじゃないかとも思えてくる。

 

結果を待つのは怖いけれど

少しの期待を込めて

明日も生きてみようと思う。

 

もっと違う人生が良かったなって

つくづく思う

 

愛されたかったね

 

過去の私を想って

心の中で慰める

 

今の私は

誰も慰めてくれないから

今生きてることが

とてもつらい

 

多分ね

死ぬ時はね

遺書なんて書いていられなくて

突発的に死ぬんだと思う

 

私はそういう人だから

 

今夜かもしれないし

ずっと先の未来かもしれないし

憧れてた普通には、なれなかったんだった。

 

時々ふと、思い出してしまう。

いや、思い出さないとやってられないのが正直なところなわけで。

 

当たり前にパートナーがいて

当たり前にその人が優しくて

当たり前に私を想っていてくれて

当たり前に幸せな家庭があって

 

そんな当たり前を

どうせなれるもんだと思って生きてきた

 

だけど

そんな当たり前が私には難しくて

私には遠くて

手を伸ばしたって届かなかった

 

何度も躓いて転んで

全然辿り着かなくて

 

仕方なくなって

今いる場所を求めてた場所だったって言い聞かせて

私は幸せなんだって

おまじないをかけた

 

こんな人生も十分楽しい

 

そんな訳はなくて

 

こんな人生を受け入れるしかなかった

 

何も選べなくて

欲しかったものじゃなかったとしても

欲しかったフリをして

これからもずっと生きていくの

 

死にたいなって思いながら

死ぬ勇気がないから

ただ彷徨うしか残されてないから

 

分かってもらえなかったとしても

寄り添ってもらえたら

どれだけ心が救われるんだろう