kiaorakanaの日記

写真を撮る人

24歳のバースデープレゼント

かつて死の淵を彷徨った。

 

薄れゆく視界と

苦しくなる胸に

私はただただ、生きたいと願った。

 

あれからもう何年も経って、

私は普通の人と何ひとつ変わらない生活を送っている。

過去の私を知っている人も知らない人も

同じように接してくれることがありがたい。

 

だけれど

日常生活の中で、

死にたい とか 死ね とか

そんな言葉と出くわすことがある。

これは仕方のないことなんだけれど。

できればどちらの言葉も使わず生きていきたいと強く思っている。

 

命乞いをして

命拾いをした私でも

死にたいと思わざるを得ない瞬間が訪れたのは

24歳の誕生日の翌日、

あれほど最低な誕生日プレゼントはないだろうというくらいの

現実を向き合わさせることとなった。

 

あの日私は、死にたかった。

でも死ねなかった。

 

 

先日、そんな昔話を彼と話していた時に

「僕のためにも生きてください」

と言われた。

彼にとっては何の深い意味もなかったのかもしれないけれど、

そんな風に言われるなんて思わなくて

本当に驚いたと同時に

私もまだ生きていていいんだとそんな風に思えた。

 

あの日の衝撃も

辛かった日々も

何もかも色褪せることなく覚えているけれど

彼の言葉ひとつに救われた。

この人に守られているんだなって気付けた。

 

これからは何があっても

幸せになれるんだと

自分の中で確信できた、そんな冬の日。

自問自答だけでは辿り着けない答え

「好きな人のタイプってどんなの?」

「自分より好きでいてくれる人」

「重たいな」

「だから振られる」

「甘えたりしたい?」

「甘えたい…というか、甘やかされたい」

「どんな風に?」

「日常的にとかじゃなくて、1日でいいから甘やかされたい」

 

たった1日だけでいいから

私は好きな人を独り占めして、

呆れるほど求められて甘やかされたいと思うことがある。

 

そんなようなことを電話越しに話していて

思い出してしまった。

 

私はとにもかくにも甘やかされたい願望がある。

それも人一倍強い、願望だった。

甘やかされたい、ちやほやされたい、主役になりたい。

今、いちばん欲しいものがあるとするならば人望なのかもしれない。

愛されたいという欲求が人よりも強くて大きくて

とても厄介なのは、自分がよくわかっているつもりだった。

 

物心ついた頃には私にはすでに妹がいて、

事あるごとに

 

「おねえちゃんだから」

 

と、我慢を強いられてきた記憶ばかりが思い出される。

お姉ちゃんになってしまったからには

どんなに小さくても我慢しなければいけないことはたくさんあるし

妹よりも厳しく育てられてしまう運命なのだ。

仕方ないんだけれど、

仕方ないけれど幼少期のモヤモヤが晴れぬまま大人になってしまったもんだから、

私だけを見ていて欲しいとばかり思ってしまう。

特に恋人になる人にはそうしていて欲しいと思ってしまう。

これじゃあ独占欲の塊である。

独占できなくて嫉妬して、

そんな人に何の魅力もないことは自分がいちばんわかっていた。

けれど自分ではどうすることもできなかった。

 

いつだって愛されたかった。

いちばんになりたかったし、

私だけを特別に思ってほしかった。

褒められたかったし、優しくされたかった。

 

幼少期の私の願いは

大人になった今もなお

叶えられてはいないの。

ごめんね。

 

でももう叶えてあげられるかわからないんだ。

 

だけどね

大人になった私が

小さかった頃の我慢ばっかりしてきた私を褒めてあげるね。

頑張ってるの知ってるから。

ちゃんと見てるから。

 

そんなあなたのことが大好きだから。

 

そんな風に言ってあげられたら

少しは報われるのかもしれないね。

クリスマスが終わる夜

もう10年ほどの時間が経つだろうか。

あの頃、12月25日は毎年渋谷にいた。

 

恋人とのデートでも

友達とのパーティーでもなくて

いつもひとりでライブを観に行っていた。

 

私はあの頃も今も、

毎年ひとりでクリスマスを迎えていた。

 

毎年、渋谷にある同じライブハウスに

好きな人に会いに行っていたんだった。

5階までの階段を

息を切らせながら上って

最後の最後、階段の終わりが見える頃に

好きな人のポスターが並べられていて

いつだってそれを見つけるのが好きだった。

いつからか習慣になっていた。

 

楽しい時間を過ごした後、

外の冷え切った空気の中を駅まで足早に歩く。

これもまた、習慣だった。

 

駅前のイルミネーションはどれも外されて

お正月飾りに替えられていく。

信号待ちをしているその間にも

煌びやかな電飾は光を失っていった。

 

まだクリスマスの夜なのに。

私にはサンタさんは来ていなかったのに。

 

いつだってクリスマスは私に冷たい。

余韻に浸る間もなく

残りの今年を

来年の装いの街で過ごしていく。

タイミング

優しさを含んだ言葉の大半は

社交辞令だと思え。

 

いつからか人は

優しいふりをした

その場凌ぎの言葉を言うようになる。

彼もそのつもりで言ったのは分かってた。

 

「具合悪かったら、看病に行くから甘えてね」

 

私を好きだと言って

付き合ってとも言った人の言葉でさえも

信じた私が馬鹿だった。

 

週末、久々に風邪を引いて

部屋で倒れていたのだけれど

彼のその言葉を思い出して

報告がてら看病に来て欲しいと伝えた。

 

結論から言えば、彼は来なかった。

来なかったどころか、連絡を受け取ったにも関わらず

今もなお私を無視している。

可哀想だと思われたいわけでも

惨めな姿を晒したい訳でもないのだけれど

こんなにも薄情な人だったのだと

呆れた。

 

そういえばしばらく仕事で忙しいと言っていた。

落ち着くまで待って欲しいとも言っていた。

この言葉の正しい解釈があるとするならば

彼女とのデートがある。

デート中はもちろん、

毎日毎日お前を相手する時間なんてない。

日々の連絡すらして来ないで欲しい。

気が向いたらこっちから連絡してやるから

それまでは黙ってろ。

まぁ、そんなところだろう。

 

連絡しないでと言われたタイミングに

風邪を引いた私のタイミングの悪さったらない。

かまって欲しくて

仮病を使ったと思われたのがオチだろう。

 

風邪を引いて

心細くなってる中で

伸ばした手を弾かれたような、

いや、見過ごされたことで

私はちゃんと目が覚めた。

 

大事にすべきは自分であって

自分を傷付けるものではないと。

当然のことだけど

なぜ大事なことを見失っていたのだろう。

 

きっと全て、

熱にうなされたせいだ。

 

夜も更けたことだ、

早く明日を迎えよう。

 

名前を呼んで

高校卒業を機に、一人暮らしを始めた。

誰も自分のことを知らないところで

ゼロからの生活が始まった。

 

大学生活はそれはそれは

とても楽しく、充実したものだった。

大学入学直後、自分の名前とは関係のない

ニックネームで周りから呼ばれ始め

10年以上経った今でも

友人たちは皆、その名前で私を呼ぶ。

 

数年前、

趣味だった写真を通じて友達がたくさん増えた。

そこでは皆、

instagramのアカウント名を捩って

私のことを呼ぶようになった。

 

アカウント名に使っていたものは

以前交際していた彼が

私につけてくれたニックネームだった。

的確に私という人物を表現するのにふさわしい名前だったから

別れた後もずっとそのまま使っていたのだった。

今でもとても気に入っている。

 

でもなぜだろう。

自分と同じ名前をしている人が

その名前そのままで呼ばれているのを見ていると

胸の奥の方がざわざわする。

 

それは私の名前なのに。

私のことも名前で呼んでよ、って。

 

お気に入りのニックネームも私のものだけど

あなただけは、

私の名前を呼んで。

透き通る声に

2016年11月21日

Jungle Smile 「ジャンスマ、成人式」

東京キネマ倶楽部にて

 

もう会えない、と思っていた。

 

そんなキャッチコピーがピタリとくるほど、

私の青春の中心にあったのに

気づけばもう会えない存在になっていたジャンスマ

 

最後のシングル『抱きしめたい』がリリースされたのは確か、

私が高校生の時だった。

その頃たった一度、ジャンスマのコンサートに行ったことがあった。

地元のホールの後ろの方の席で、

メンバーの顔もほとんど見えなかったけど

すごく幸せだったのを憶えている。

 

当時はまだインターネットも気軽に使えなくて

情報のほとんどはラジオから得ていた。

録音したラジオを擦り切れるほど聴いた。

例えでもなんでもなくて、

お気に入りのラジオテープは

本当に擦り切れてもう聴けなくなってしまった。

 

テレビにもほとんど出ていなかったから、

出演したテレビを録画して何度も観たし、

CMのタイアップが決まった時は

流れる度に食い入るようにテレビの前で

耳を澄ませていた。

 

 

デビュー20周年のこの日、

ステージに現れた郁乃ちゃんとゐさおちゃんを見ても

正直なところピンと来なかった。

しかし、1曲目の『片想い』の郁乃ちゃんの声を聴いて

確信した。

あの当時、毎日聴いて真似して歌っていた

あの、ジャンスマが目の前にいるのだと。

 

叶わない恋だと知ってても いつもいちばん近くで君を見てた

 

このフレーズが終わる頃にはもう、

涙が止まらなかった。

自然と溢れて気付けば泣いているとはこのことで、

思い入れのある曲ばかりが歌われて

あの当時と変わらない郁乃ちゃんの声がここに響いてて

本当に包まれているのだと思った。

 

コンサートで泣くことはあっても

終始、泣いてしまうとは思ってもいなかった。

声を出してしまいそうになったくらいだった。

 

 

私がジャンスマと出会ったのは中学2年生の夏の少し前だった。

人生でいちばん「多感なお年頃」と呼ばれるにふさわしい時だった。

ラジオから流れてきたその曲がとても耳に残った。

 

『小さな革命』

 

透明感のある歌声と

独特な発声の歌い方にとても惹かれていった。

私もこんな風に歌を歌えるようになりたいと

その瞬間に思ったのは言うまでもない。

 

ジャンスマに出会ったそのすぐ後、

さらに運命的な出会いを果たすのだけれど、

このタイミングで『おなじ星』がリリースされた。

ラジオのパワープッシュに選ばれたり、

メディアにも取り上げられる回数も多かったからか、

少し意識をするだけで

あちこちで耳にすることができたのだった。

そしてこれをきっかけに

さらにジャンスマという人たちをさらに好きになるのだった。

 

とはいえ中学生のお小遣いで買えるCDの枚数は多くなくて

大人になった今でさえも

全てのCDを買い揃えることができなかった。

全部買って、全部を思えることはできなかったけれど、

手にできた音源は今も日常的に聴いている。

 

夏になると聴きたくなる曲もあるし

冬になればやはり、『白い恋人』を聴きたくなる。

 

ジャンスマはいつも、季節に、人生に寄り添ってくれていた。

これまでもそうだったように

これからも変わらないだろう。